2012年04月08日

目がさえぎられていたので


「目がさえぎられていたので」(ルカによる福音書24:13〜35)

◎復活のイエスをこの目で見たら信じる……という人がいるが、果たしてそうだろうか。弟子たちですら、目の前にイエスを見ながら信じられなかった。
◎その原因は「目がさえぎられていた」と記されている(24:16)。物理的には見えていても、心が反応していない状態だ。神の恵み、慈愛が現されているのに、私たちの心が反応していないと、その恵みを見ることができない。

◎では、なぜ目がさえぎられているのか。つまり、心が反応しないのか。それは、「心が鈍い」からだと主は言われた(24:25)。そう言ってイエスは聖書全体から神の御言を解説された。弟子たちの鈍った心を開くために、神の御言が語られたのだ。

◎ルカ福音書の特徴は「御言」だ。ルカは直接イエスを目撃していないが、御言を通して信じた。見たから信じるのではない。御言を通して信じる。信仰は聞くことから。聞くのは神の御言だ。だから、ルカは随所に「御言を聞いて体験する」という出来事を記録している。

◎イエスは弟子たちに御言語られた。しかも、イエスご自身について記されている聖句を中心に。
    @アブラハムがひとり息子のヨセフをささげたこと
    A過越しの小羊
    Bエジプトに売られたヨセフ等々枚挙にいとまがない。

◎御言を聞いて弟子たちの鈍い心は開かれた。「心に燃える」という経験をした。イエスは神の御子キリストであると“御言によって”確信した。見たからではない。だから、イエスの姿は見えなくなった。


posted by 恵みキリスト教会 at 17:55| 群馬 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 降誕節・復活節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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